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Exploring My Nature

南蒼樹の詳細プロフィール

こんにちは!このブログを運営している、南蒼樹(@Sight50Sky)です。
この記事では、僕の生い立ちやどんな人生を歩んできたのか、そして、どんな思いでこのブログを運営していくのかを赤裸々に書きました。
 
僕の考え方や性格についてもだいたい掴めるような内容になっていると思います。ぜひ読んでみてください!

 

簡単な経歴

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・南蒼樹/ミナミソウジュ←日本人です
・1994年2月15日生まれ
・長野県松本市出身
・信州大学卒業後、都内のITベンチャーに勤務
・14ヶ月で退職
無職@松本←今ここ
 

「遊んで、採って、食べる」自然の中で育った幼少期

長野県松本市に生まれる。山岳部の両親と、山や田んぼの近くに家があったおかげで、小さい頃からアウトドア三昧な毎日を送っていました。
 

野山で育ち、人見知りで小心者の幼少期

平日は朝夕欠かさず虫採りにいき、週末は食材を抱えてピクニック。家から車で20分のところに無料のキャンプ場があったので、「今日行くか!」という感じでよくキャンプしてました。
 
登山こそしなかったものの、山菜採り、川遊び、キノコ狩り、スキーと四季を通じて大自然と触れ合ってました。
 
僕の中で自然とは「遊んで、採って、食べる」という楽しさやワクワクが凝縮されたフィールドでした。
 
逆に人混みや街は大嫌いで、松本市にある百名山のひとつ・美ヶ原の山頂に電波塔がたくさん立っているのを見て、「あそこは山頂に街があるから行きたくない」と言っていたらしいです。野山では元気に駆け回っていたけど、街にでると人見知りで小心者のチビッコでした。
 

小さな成功体験で、自信をつけていく

そんな小心者の僕を変えるきっかけになったのが、人生初の一人旅。
小学4年生のときに、おじいちゃんとおばあちゃんの住んでいる仙台まで一人で行くことになったのです。仙台までは3-4回の新幹線と在来線の乗り換えが必要で、当時の僕にとっては大冒険。
 
小さい頃のことはあまり覚えていない僕ですが、あの時の不安な気持ちや緊張感は今でもよく覚えています。よっぽど不安な顔をしていたらしく、その後10年間は、おじいちゃんに会うたびにからかわれ続けました。
 
不安ではあったけど、拍子抜けするくらいに何事もなく到達できたので「とりあえずやればできる」と小さな自信を手に入れ、1年後には沖縄・西表島での1週間のキャンプツアーにひとりで参加して、さらに自信をつけました。
 

個性に目覚めた中学時代

好きなことに熱中する一方で、うまくいかないことも出てきた中学生。この頃から「他人は他人、自分は自分」と割り切り、人付き合いが苦手になっていきました。
 

釣りと読書に熱中した日々

中学では釣りに夢中。毎朝4時起きしてチャリで往復1時間以上かけて川に通い、釣りしてから学校にいくという生活
 
びっくりするほど上達しなくて、何も釣れない日が圧倒的に多かったのに、それでも飽き足らずに雑誌や本を読み漁ったり釣り道具を眺めたり(ルアーってなんであんなに美しいんでしょう)。
 
帰宅して釣り道具をいじってたら気がついたら夜中、というのがよくあるパターンで、完全にハマってました。
 
さらに「ハリーポッター」に出会って読書が大好きに。学校の図書館に入り浸り、休み時間は読書してるかその日の宿題をフライングしてやっているかのどっちか。
 
人と違うことをしているのが全然気にならなくて、人付き合いが悪いおかげで友達も少なかったです。でも、自分は自分、他人は他人だと思っていたのであまり気にしていませんでした。
 

人づきあいがだんだん面倒に

さらに、スポーツでもこの気持ちが強くなっていきました。部活でやっていたバレーボールは自分は何もミスしていなくても点をとられるからイライラするし、ミスるとメンバーに申し訳なくて焦る。
 
メンバーのモチベーションもバラバラで、いい結果が出るわけもなく。小さいことはサッカーに憧れていた僕ですが、中学バレーを引退するときには、チームスポーツなんてクソ食らえと思ってました。
 

好きなことはとことん貫いた高校時代

自由な校風だったこともあり、好きなことは時間をつぎ込んで徹底的にやる一方で、やらないことは全くやりませんでした。
 

夢中になったらとことんやる

高校ではバドミントンに没頭。シャトルを追いかけるのが楽しくて、強くなりたくて、バドミントンのことばかり考えてました。
 
ひとりでコートに立つときの緊張感にはいつまで経っても慣れなかったけど、勝手も負けても自分の責任なので気持ちよかったです。県大会で団体戦準優勝という結果も残せました。
 
もう一つハマったのが、ケータイのゲーム。「テレビ見ない、ゲームも買わない」という家庭の方針だったのでほとんどゲームに触れたことがなく、ガラケーを手にいれた僕はケータイゲームにどハマりしました。
 
課金するお金はなかったけど、ネット上で取引したりして、無課金ながら相当なガチ勢でした。
 
これもそこそこ強くなったけど、「ゲームしてもリアルは1ミリも変わらないな」と悟って引退。ところが今度は別のゲームが面白くなってまたハマり… というバカなサイクルで結局2年くらいはゲームに費やしました。
 

興味ないことはやらない

好きなことにはとことん時間を費やして熱中しましたが、一方でそれ以外のことはほとんどやりませんでした。
 
授業はひたすら寝てるかサボるかのどっちかで、成績はどんどん下り、3年では底辺近くを浮遊。大学受験が迫っても「やればできる」という謎の自信により、危機感はありませんでした。
 
どのくらい危機感がなかったかというと、北海道大学の2次試験の前日に「物理と化学のエッセンス」という基礎の基礎の参考書を解いているくらい(赤本1問も解いてない)。
 
見事に落とされ、「やればできる」=「やらなきゃできない」だと痛感。それでも、やりたくないことにはやっぱり身が入らなかった。
 
結局、家が近いという理由で地元の信州大学に進学しました。入学したあとに、2年になったらキャンパスが変わることを知ってビックリ。
 
家から通えなくなることは大誤算でしたが、一人暮らしができたのはむしろラッキーでした。
 

何者かになろうともがいていた大学時代

大学には入ったけど、「安定してる会社なんてないし、個人で生きていく力がないとヤバいぞ」と思ってたので、ハナから就活はする気がなく、何者かになろうともがいてました。
 
住み込みのアルバイトをしたり、国内外でヒッチハイクをしたり、バックパックで旅をしたり、興味ある人に会いに行ったり、ボランティアをしたり…。
そんな大学生活で僕の人生を動かしたビッグイベントは4つ。
 

「世界は変えられない」と悟った

小さい頃から自然の中で育ったことで「環境問題」、そして旅するなかで「貧困」という世界規模の2つのビッグイシューを、僕は無視することができませんでした。大学でも環境系の学科を専攻して、「自分のライフワークとしてなんとかしよう」と思ってたんです。
 
でも、現実はそんなに甘くなかった。
勉強すればするほどに環境問題がいかに複雑なのか知りました。世界の貧困には様々な意図が複雑に、根深く絡んでいることを知りました。
 
知れば知るほど、結局僕は何をすればよくて、何をしてはいけないのか分からなくなっていきました。
 
そして、そういうことを考えている僕自身はイライラして、ちっとも幸せじゃなかった。
 
そのうちに、実際にゴミを拾ったり、貧困の土地で技術を教えたりするという「直接的な関わり方」だけなく、お金を寄付したり、影響力をつけて情報を拡散したりという「間接的な関わり方」もできるし、僕にはそっちの方が性に合うということを悟りました。
 
僕は世界を変えられないと気づき、まず自分が幸せに生きることにフォーカスしようと決めたんです。
 

あるダイビングインストラクターと出会った

世界問題との関わり方と同時に、ぼくは「自分が本当にやりたいこと」を模索していました。そんな中で出会ったのが伊豆のダイビングインストラクター「大石さん」。
 
スキューバダイバーでありながら、カメラ・釣り・料理・きのこ採り・山菜採り・ルアー作り・デザインと多様なスキルを掛け合わせたライフスタイルをみて、「こんな生活できるのか!」と衝撃を受けました。
 
自然と一体になって生きる大石さんがめちゃくちゃカッコよかった。
 
ダイビングを教わりながら、色々と人生の話をし「何もできないくせに世界を変えたいなんて言ってんじゃねぇ」と何度言われたことか。
 
だんだんと「自分の好きなことをして生きよう」と考え方はシフトしてき、大石さんには「ウチでインストラクターやらないか」とオファーをもらいました。
 
海もダイビングも、大石さんのライフスタイルも大好きだった僕は、ダイビングのインストラクターとしてやっていこうと決め、夏休みは伊豆に居候して準備を始めました。
 

彼女と出会った

もう別れてしまったけれど、当時の彼女には本当に色々と影響を受けました。
 
就活する気は全くなく、ダイビングインストラクターとしてやっていくことを決めていた僕でしたが、彼女が「就活楽しい」と言っているのを聞いて、やってみることに。
 
就活するうちに「飛行機のパイロット」に憧れていたことを思い出し、本気でチャレンジしようと決め、一度決めたダイビングのインストラクターという道は断ってしまいます。ところが、面接で普通に落とされます。
 
代わりに、ワクワクするような会社をいくつか見つけ、そのひとつに入社することにしました。
 

「本当に好きなこと」を見つけた

就活も終わって卒論が忙しくなる時期に、ふと「紅葉を見にいこう」と思い立ち、百名山のひとつ・雨飾山をフラっと登りに行きました。
 
紅葉のピークには少し早かったけれど、秋晴れで絶好の登山日和。ここで、僕は、出会ってしまった。あまりにも綺麗な紅葉に、言葉が出てこなかった。
 
心が痺れるような感覚。とにかく僕は、その登山で、すっかり山の虜になってしまいました。
 
その3日後に今度は苗場山に登り、またもや紅葉と絶景に呆然。僕は卒業間際になって、「自分が本当に好きなこと」に気づいたのでした。
 
 
ブログを書き始めたのもこの頃で、ざっくりしたライフプランを決めました。
・卒業までに収入源を作る(ブログ)
・就職したら仕事をしつつブログを伸ばす
・ブログで生活費が稼げるようになった段階で仕事を辞めるて山に登る生活をする
というもの。就職が都内だったので、「関東の百名山を登り尽くす」と意気込んで上京します。
 

仕事と登山三昧のサラリーマン時代

いざ仕事が始まると、アホみたいに忙しい日々。
とはいえ「仕事を振ってもらっている」立場なのは分かっていたので、とにかく何とかできるようになろうと必死。
 
忙しければ徹夜は当たり前で、40連勤くらいしたこともありました。
 
仕事は忙しかったけれど、どうしても山には行きたかったので、金曜の終電で帰宅してレンタカーで高速を飛ばし、そのまま登山してテントで爆睡、翌日下山して東京に戻る頃には深夜、という生活の繰り返し。
 
休日出勤なら速攻で登って昼までに下山し帰都、午後から出勤というパターンで、上京してからの1年で70日以上は山に行き、関東と西日本の百名山はほぼ制覇するという、まさに仕事と山づけの毎日でした。
 
 
さすがにブログまでは時間と体力が回らず、通勤電車で細々と書き進めることしかできませんでした。更新頻度は1ヶ月で1記事に激減、アクセスも減って、収益も半分ほどに。
 

アウトドアへの想いがつのり、退職。

それなりに山には行けてましたが、限界も見えてしまいました。
 
自然が遠い。
 
海にも行きたい。キャンプもしたい。岩や沢にもチャレンジしたい。海外のトレイルも歩きたいし、エベレストにも行きたい。
 
何よりも苦痛だったのは、僕の最も好きな登山スタイルがテント泊での縦走だったこと。
 
レンタカーで深夜移動する限り、登山口と下山口を同じにしなければならないという足かせが付き纏う。そんな都合のいい山はとっくに行き尽くしてしまっていて、もっと自然の近くに身を置き、自由に山を巡りたいという気持ちが募りました。
 
そんな中、僕の決意を固めたのはアメリカに留学している幼なじみからの1本の電話でした。GWに台湾で5日に及ぶソロ縦走から帰国して、車で尾瀬へと向かっている途中に不意にかかってきた1本の電話。
 
仕事のこと、登山のこと、ブログのこと、そしてライフスタイルのこと…。アメリカ仕込みのフランクさを身につけた彼になら、自分でもビックリするほど赤裸々に思っていることが話せました。
 
気づいたら2時間が経ち、自分の中のモヤモヤを言葉にしたことで、自然と決意は固まりました。深夜の車の中で、僕は仕事を辞めることを決めたのです。この時点でブログ収入は月に2万ほどでしたが、気になりませんでした。
 
決めてからはスムーズで、2017年の6月末をもって退職。入社から14ヶ月でした。
 

登山できない怪我を負うアクシデント

退職してからは、ブログそっちのけでアウトドアに身を置くことにフォーカス。テントを担いで北海道から神津島まで飛び回り、登山とキャンプに明け暮れました。
 
8月末までの2ヶ月で、ベッドで寝たのは半分以下。ずっとやりたかったアルプス制覇にも着手します。
 
中央アルプス縦走を終え、8月末にチャレンジした南アルプス全山縦走。ここで、思わぬアクシデントが起きました。塩見岳手前で膝が崩壊
 
このときの僕はスケジュールの関係もあって、20キロのバックパックを背負って標準コースタイムで13時間以上のルートを毎日歩いていました。その結果、負荷がかかりすぎて膝の内部が炎症を起こした、ということでした。
 
痛みがあるまま歩き続けたので炎症が悪化してしまい、「下手したらもう登山できなくなるかもしれない」と恐怖さえ感じる痛みでした。
 
這々の体でなんとか下山。「最低2週間の安静、登山はいつ再開できるか分からない」と告げられました。
 
この記事を書いている今、膝はだんだん良くなってきてはいるけれど、正直、いつから登山に復帰できるかはわかりません。
 
もしかしたら10月には復帰できてるかもしれないし、今年はもう山に行けないかもしれません。とにかく、ちゃんと治して、また山に行きたいです。
 
 

7泊8日で南アルプスの主要ピークを全部縦走するつもりでしたが、5日目の本日下山しました。4日間の平均CT13hのアップダウンが膝にきたようです。 ・ 塩見岳まで登るのはいいけれど、下山が耐えられないと判断し、南アルプス南部のみで切り上げることにしました。 ・ 鳥倉登山口-伊那大島のバスは生憎昨日までの運行でしたが、たまたま通りかかった神戸のオバちゃん姉妹に乗せていただき、人里まで無事に下りることができました。ありがとうございます。 ・ 南アルプス北部、白峰三山/塩見/仙丈/甲斐駒/鳳凰まで繋げられなかったことが本当に残念でなりません。 ・ 取り残した山々を個別に登って完登することは容易いでしょう。でも、僕がやりたいのはそうではなくて、南アルプスという奥深い山々を一度に全部繋げて歩きたかったのです。 ・ 足はさっさと治して、またチャレンジします。 ・ もう夏が終わりますね。下界から望む南アルプスは、雲をかぶっています。 ・ #20170828

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「アウトドアで、生きていく」を実現します

僕が求めていることは、時期によってスタイルや形は違えど、やはり「アウトドア」でした。なので僕は、「アウトドアをして生きていく」を実現します。
 
一般的にはアウトドア=レジャー、つまり「余った暇な時間でやること」だと思われていますが、僕はそうは思いません。アウトドアや登山は「お金を消費するもの」という概念をぶっ壊して、「お金を生み出すもの」として価値を示したい。そして、その魅力をもっとたくさんの人に伝えたい!
 
このブログや僕自身のライフスタイルを通して、大石さんに初めて会ったときのような「こんなワクワクする生き方ができるんだ!」という感動を届けたいです。
 
そんな南蒼樹と当ブログを、これからもよろしくお願いします!
そして、長いプロフィールを最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!
 

SNSでも「アウトドアで生きる」を発信中!

twitter(@Sight50Sky)は登山とアウトドア情報のほか、ぼくの考え方を発信中。

 

instagram(@souj_373)は「iPhoneで撮った綺麗な写真」をコンセプトに発信中!

 

 

小樽の夏の朝焼け。 ・ 数年ぶりに、新潟からフェリーで北海道に行きました。 ・ 少し時間はかかるけれど、船旅も、青い日本海の真ん中で浸かるお風呂も最高です。 ・ 日本海が汚いってイメージ持ってる人多いけれど、そんなこと全然なくて、むしろ透き通った綺麗な海だ。 ・ 晴れていたら夜中は満天の星空だし、船旅も結構好きだなぁ。 ・ #20170808 #船旅 #ひとり旅 #山旅 #朝焼け #朝日 #朝の空 #空が好き #海が好き #旅が好き #北海道 #新日本海フェリー #フェリー #小樽 #小樽運河 #夏の空 #国内旅行 #日本海 #雲 #旅行 #i4gram #ShotoniPhone #ShotoniPhone7

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