くうねるだす

Exploring My Nature

他人のために生きるのは、もうやめよう。

「将来は人のために〜したい」
僕はかつて、こんな風に考え、迷い、悩んでいた。
 
今考えるとそれは、「自分のやりたいことが分からない」を聞こえがいいように言い換えていただけなんだと思う。
 
「人のために」という自己犠牲が賞賛される世の中、もし5年前の自分に会えるとしたら、僕は彼にこう言うだろう。
 
「他人のためなんて嘘なんだから、今すぐ自分のやりたいことをやれ」と。
 

自己犠牲を美とする世の中

考えてみれば、僕らは小さい頃から「人のために生きなさい」と言われてきた気がする。教科書に載った哲学者の言葉、自己犠牲が賞賛されるドラマ、アホみたいに長い残業。
 
そんな空気に染まって生きてきたからか、僕が将来のことを真剣に考え始めたころには、いつもどこかで「人のためになることをしなければいけない」と思っていた。
 
そして世界の平和や環境問題という「人のため」っぽいことに対して何ができるか考え、考えれば考えるほどに行動できなくなっていった。
 
もしこの自己犠牲を美しいとする風潮が「自分のために〜します」と言いづらい空気を作ってしまっているのだとしたら、「他人のため」なんて思考は今すぐ捨てたほうがいい。
 

他人のため、という嘘

そもそも、本当に「他人のため」に生きている人なんて存在しない。
 
「被災地でボランティアする」のは「人の笑顔を見るのが好きだから」。
「子供のために身を粉にして働く」のは「元気に育っていく子供の姿が見るのが幸せだから」。
 
僕らはみんな、自分が喜ぶため、幸せを感じるために行動している。一見「人のため」に見える行動もすべて、根底となる目的は「自分のため」なのだ。
 
「おまえのために」なんて言ってくるのは、とんでもない勘違いヤローだ。
 

自分のためを突き詰めれば人のためになる

「人のため」と言い訳しながら自分を犠牲にして嫌々仕事をしている人と、「自分のため」にやりたい仕事をしている人。
 
この2人のどっちが人のためになる結果を残し、幸せに生きるのかは考えるまでもないだろう。
 
他の誰でもなく「自分のため」に行動していることを認め、やりたいことを素直にやる。その結果としてはじめて「人のため」が実現する。
 
僕らは、もっと自信をもって「自分のため」に「自分のやりたいこと」やればいい。
 
本当に好きならそれはいつか人のためになるはずだし、やってみて違うと思えば軌道修正すればいい。
 

僕は自分のために生きようと思う

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偉そうに書いたけれど、僕がやりたいこと、それは「登山」だ。
 
そのために新卒で働いた会社を辞め、山の麓に拠点を移した。
本気なことが伝わって、登山に関わる仕事がもらえることも決まった。
 
登山は職業でも何でもないから、多くの人にはバカにされるかもしれない。だけど僕は、やりたいことができるなら肩書きなんて何でもいい。
 
ニートでも、ヒモでもいい。
 
自分の人生を、どっかの誰かが作った「職業」なんかに縛られてどうするんだ。
 
僕は「自分のため」に生きる。
 
「他人のため」の人生なんて、クソ食らえだ。